泣くな、はらちゃん #8 投稿者 yamutya1
時間的に順番が前後しますが、重いパートから先に書いていこうと思います。あらかじめお断りしておきますが、以下に書く内容はわたしの主観にもとづくものであり、「そういった見方をすべき」などと押しつけるものではありません。よろしくお願いします。
【1】最後の場面
(第8話)
はらちゃん 「これが、この世界・・・」
映画「フィフス・エレメント」を思い出した人も多いでしょうね。そして、放送日は2013年3月9日。3.11から2年が経とうとするタイミングで、あの演出をしたわけです。もちろん、作り手からの強いメッセージなのでしょう。わたしはこれをもって不謹慎だとは考えませんが、かなりの冒険ですよね。第8話はこの最後の場面に象徴されるように、全体としてメッセージ色が強く、3つのレベルから「忘れないで」というメッセージを発しているように感じられました。
<マンガ世界から>
(第8話)
ユキ姉 「わたしたちのことを捨ててしまうの? 忘れないでよ、捨てないでよ、わたしたちのこと。」
これはマンガ世界の人間たちが「忘れられて死ぬ」に繋がるメッセージですね。
<ドラマのなかの現実世界から>
(第8話)
はらちゃん 「これは、この世界の出来事ですか?」
お母さん 「あぁ、そうね。悲しいけど、この世界の出来事なのよ。全部。嫌な世界よね、ほんとに。」
テレビに映し出された映像はすべて現実のものですから、そのインパクトはマンガ世界のみんなだけでなく、視聴者である我々にも伝わってきます。さらに、どこか牧歌的で、いい人ばかりが出てくる「泣くな、はらちゃん」というドラマにインサートされることで、より強い衝撃を生み出します。
<ドラマの作り手たちから>
「これはドラマという虚構だけども、その中から『現実の出来事をどうか忘れないで』と現実の視聴者のみなさんに伝えたい。」
東日本大震災の映像を無音で10秒ほど流しています。わたしにはあれが黙祷のように感じられました。その他の映像も、マンガ世界のそれぞれのキャラクターに合わせたものとなっていましたね。(マキヒロ=車と戦車、あっくん=犬と殺処分、笑いおじさん=食べものと飢餓、たまちゃん=家族とホロコースト)
この最後の場面については賛否の分かれるところでしょう。わたしは不謹慎うんぬんとは違う理由で判断を保留しています。なぜなら、ドラマはストーリーとしてきちんと完結している必要があり、もし、この演出によってその後のストーリーに影響が出てしまうとしたら、やはり、それは否定的な評価に繋がるからです。その成否は第9話を見てみないと判断がつきません。
「泣くな、はらちゃん」は様々なテーマを内包していますが、それでも、その基本はラブストーリーであってほしいとわたしは考えています。もし、第9話が「世界」についての問答だけとなってしまったら、それは少し味気ないものに感じられるでしょう。逆に、これだけ重い演出を行ったにも拘らず、きちんとラブストーリーを見せてくれ、さらには視聴者が思わず笑ってしまうような、そんなやりとりまで描かれるとすれば、それは快挙と言ってよいかもしれません。
【2】最初の場面
第8話の冒頭で映し出されるマンガ世界。第7話で「外の世界にずっといる」と決めたため、無人のままです。荒れ果てた町のようにも見えます。そもそも、マンガ世界から外の世界へ出てくるきっかけは強い振動であり、その揺れで散らかったテーブルや椅子はマンガの世界のみんなが直していました。このマンガ世界の居酒屋も、我々のいる現実と同じように、「人間」がいなければ荒れ果ててしまうのでしょう。
(第8話)
越前さん 「あの、この状況については、あとでゆっくり順を追って説明するので。ごめん。」
お母さん 「ほんとよ。何なのよ、いきなり。わたしは合宿のおばさんかって話よ。」
なので、ずっとこのままの生活が続くことはなさそうな気がします。また、長く続いてはいけないのでしょう。お母さんのセリフにも「合宿」という言葉が出て来ますしね。この「合宿」を「避難」と言い換えてもよいかもしれません。なにより、冒頭に映し出されたマンガ世界の居酒屋にはらちゃんのギターが置きっぱなしになっているのですよね。
外の世界に出たままのはらちゃんは、やはり、何かが欠けているのでしょう。はらちゃんとあのギターのあいだには強い結びつきがありますし、あのマンガ世界の居酒屋ははらちゃんたちにとっては「故郷」のような場所であるわけですから。
【3】矢口百合子=矢東薫子
(第8話)
矢口さん 「あのさ、越前さん。矢東薫子って漫画家。」
越前さん 「はい。」
矢口さん 「あれ、あたし。」
「あれ」と今の自分と距離を置くかのように言う矢口さん。
(第8話)
矢口さん 「まぁ、簡単に言うと、わたしはスランプっていうかさぁ、要するに、描けなくなっちゃってさぁ。逃げたんだよねぇ。放置してたんだ、ずっと。自分の描いたマンガ世界をね。」
矢東薫子がマンガを描かなくなった理由は「もう描けなくなった」からだったのですね。シンプルに見えますが、創作者にとっては実につらい話なのだと思います。
(第8話)
矢口さん 「でもさぁ、あたし、怖くなっちゃったんだよね。こんな自分が神様だなんて、怖くなっちゃったんだ。荷が重すぎるっていうかね。誰かの神様なんて無理。あたしには背負いきれないって思ったんだ。」(第8話)
矢口さん 「それきり二度と、マンガを描くことはなかった。ずっと逃げて生きてきた。別に、人を殺したわけじゃないけど、あたしにとっては同じことだからね。」
そして、矢口さんにとっても、マンガ世界のキャラクターは「人間」だった。
(第8話)
矢口さん 「だから、驚いたよ。越前さんがあたしの描いたマンガの人物たちを使ってマンガ描いててさ。そこから、はらちゃんが出て来たときは、ほんと、驚いた。でも、嬉しかった。あぁ、ここで生きててくれたんだ、って思ってさ。ありがとう、越前さん。嬉しかったよ。」
これを受けて、最後のくだりで越前さんはマンガ世界のみんなに・・・
(第8話)
越前さん 「安心してください。あたしは、みんなのこと、殺したり、忘れたり、決してしません。だから、安心して。」
・・・こう告げています。越前さんは第6話でストレス発散のためにマンガを描くことをやめましたが、ここで改めて、みんなの前で、みんなのために、みんなのことを「殺したり、忘れたり、決してしません」と誓いました。
(第8話)
矢口さん 「どこに行きますかねぇ。」
「この場所を去ろう」と決心した矢口さんが愛おしそうに町を見つめるシーンがとても美しいです。薬師丸ひろ子さんはとても不思議な雰囲気を持った女優さんですね。
【4】箱いっぱいのキャンディー
おそらく、第8話はラストシーンが最も話題となっているのでしょうし、わたしも驚かされはしましたが、でも、個人的なお気に入りはここです。
(第8話)
はらちゃん 「越前さーん! 越前さん! どうぞ!」
越前さん 「なんですか、これ。」
はらちゃん 「越前さんに。どうぞ。今日は3月14日で、ホワイトデーという日だそうです。田中さんに教えていただきました。バレンタインデーにチョコをいただいた男性がキャンディーをお返しする日だそうです。なので、わたしから、越前さんに、ホワイトデーです。」
越前さん 「全部使ったの、お金?」
はらちゃん 「はい。働いて、いただいたお金と交換しました。越前さん?」
越前さん 「もうっ。なんで、全部使っちゃうんですか。はらちゃんだって他に欲しいものがあるでしょう。」
はらちゃん 「あ、いえ。わたしは越前さんがいれば、何もいりません。」
はらちゃん・・・、泣かさないでくれ。・゚・(ノД`)・゚・。
(第8話)
越前さん 「もうっ。バカ。」
はらちゃん 「越前さん、お、怒ってますか?」
越前さん 「怒ってなくても、バカって言うんです。」
はらちゃん 「ん? あ、ああ、そ、そうなんですか。・・・越前さん! 抱きしめますか? チュウ、またの名のキスしますか?」
越前さん 「しません! バカ!」
はらちゃん 「怒らなくてもバカって言うんですよね。」
越前さん 「今のは怒ってます。」
はらちゃん 「え!? そ、そうなんですね・・・」
越前さん 「ウソです。ありがとう。」
そして、越前さんが冗談を言うんですよね。わたしはここがとても好きです。第8話はラストシーンの衝撃が大きくて、他のお話が霞んでしまったところがあるのですが、越前さんやマンガ世界のみんなが意識して冗談を言うようになりました。
(第8話)
笑いおじさん 「あの、神様、ひとつ教えてほしいことがあるんだ。」
笑いおじさん 「おれはマンガのなかで何がおかしくて笑ってるんだ?」
越前さん 「あ、えっと・・・、なんででしょう?」
笑いおじさん 「あ、やっぱり、考えなかった~。」
はらちゃん 「でも、泣いてるより、笑ってるほうのがいいじゃないですか。ねえ?」
マキヒロ 「そうそう、その通り。」
笑いおじさん 「大丈夫!」
あっくん 「まぁまぁまぁ、飲んで飲んで。」
ユキ姉 「殺すしかないね!」
はらちゃん 「・・・あ~、もう、びっくりした。ユキ姉、もう!」
越前さんのマンガで口にしていたセリフを冗談っぽく言ってみるマンガ世界のみんな。
(第8話)
越前さん 「今までありがとう。ずっと一緒にいてくれて。それなのに、嫌なことばかりしゃべらせてごめんなさい。ほんとに、ごめんなさい。でも、あなたたちがいてくれたから生きてこれたんです、あたし。」 |
このように謝った越前さんを気遣って、意識して演じてみせたわけですね。第1話では「同じことばっかり言わされてうんざりだ」とこぼしていた、お約束の演技を。ユキ姉などは矢東薫子との過去を語ったあとなのに、それでも、越前さんとみんなのために「殺すしかないね」を言っています。そして、この「笑い」という要素は、同じく第1話から何度も出てきています。
(第1話)
矢口さん 「大丈夫、越前さん? はい、笑う。」
越前さん 「はい。」
第1話の冒頭で矢口さんは「はい、笑う」と越前さんを諭しています。そして、そのラストで越前さんは自室の鏡の前でひとり笑う練習をしてみるのですが、このときはひろしがやって来て・・・
(第1話)
ひろし 「なに? 気持ち悪い。」
・・・と言われてしまいますw でも、これは ひろしの言う通りなんですよね。無理してひとりで笑顔を作るのは不自然なのですから。そして、越前さんが初めて自然に笑うのは第2話。
(第2話)越前さん 「変な人。」 |
おかしそうに笑う越前さん。そして、それを見たはらちゃんも嬉しそうに微笑む。
つらいことがあっても、「笑う」ことができれば、誰かとそうやって微笑むことができれば、少しだけ世界は明るくなる。これもまた、立派なメッセージだとわたしは思います。なので、第9話、そして、第10話でも、そういうメッセージを伝えつづけてほしいです。
(第8話)
はらちゃん 「大丈夫ですか、越前さん」
越前さん 「はらちゃんの顔、見たら、大丈夫になりました。」
はらちゃん 「では、つらいことがあったときや心配なことがあったときは、わたしの顔を見てください。」
(第8話)
はらちゃん 「でも、泣いてるより、笑ってるほうのがいいじゃないですか。ねえ?」
つづく